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先日、朝日新聞にて東京大学医学部付属病院が発表した癌治療の記事を読んだ。
再発した悪性脳腫瘍の患者に対して癌細胞だけを狙い撃ちしてウイルスを送り込み、そのウイルスが、癌細胞内で増殖し、がん細胞のみを破壊して癌細胞を死滅させる手法を開発した。ここで、思ったことは二つある。
ひとつは、その破壊された残骸は、そのまま放置されたままになるのか?それとも、人体の浄化作用で自然処理されるのだろうか?などと、その後始末が気になった。もうひとつは、過去の思い出である。
小学生の頃(約50年前)、学習雑誌の付録の小冊子にSF的なストーリーの話が付いていて、その内容は、風邪を治す飲み物の話であった。その飲み物には、風邪の病原菌を別の菌で退治する話だったと記憶している。風邪という病気は、ウイルスが原因であるということが一般の人に知られるようになったのは、まだつい最近のことのように新しいことである。
大学在学中に、父が若くして癌で亡くなっているので、その当時、その小冊子の話を思い出し、ふと、ウイルスで癌を退治することは出来ないのだろうか?などと思ったことはある。しかし、それも、今から約40年近く前のことであるから、SF的な想いではあったが、いつかは科学が発達してその日が来るに違いないと信じていた。
それが、うまくいくか否かは別として、そうした試みがやれる段階まで来たと言うことは、素晴らしい科学の発達と言わねばならない。問題は、うまく、悪性腫瘍を破壊でき、かつ、他の正常細胞に損傷或いは悪影響をもたらさないか?のところだと思うが、失敗のリスクも想定されるので、このままだと助かる見込みのない患者に対してのみ今回、臨床試験されるようである。
科学は、本来、理論に対して実験を行い、その理論の普遍性を実証することで、現代、急速にもっとも活気ある学問として発達してきた。その科学の中でも物理理論とは違って、理論通りに実験がうまくいかないことが多いのが、この医学だと思う。それは、やはり人体構成の複雑さ、そして、様々な他の微生物との関わりとそれにまつわる化学的要素をも綜合して取り組む必要があることなどからして、未知のファクターが多すぎて想定外の出来事に遭遇するからであろう。
しかし、それでも、日本の医学は、たゆまずに進歩し続けてきた。その結果として、日本人の高齢化社会を生み出している。これで、癌も克服してしまえば、もっと平均寿命が延びて、男子でも平均寿命が80歳をこえるだろう。そして、強い女性は、90歳ぐらいになるかもしれない。
そうなった時、今度は、痴呆症というべきか認知症というべきか、そうした病気が今度は次第に蔓延して、高齢患者の精神は何処かに行ってしまって、身体だけが現世を浮遊してしまうような当たり前の社会になってしまうかもしれない。
そこで、医学は、そうした老齢者の病に対して今も研究しているとは思うが、その益々の対応に迫られる。そして、果たして医学の発達が人の幸せを保障するものであるのか?は、ここまで来ると疑問となってくる。そんなにまで人びとに医学が尽くすことで、結果的には、年金問題や食糧問題に大きな影響を及ぼすことにならないだろうか?
ひょっとすると、近未来において法律の制定により70歳以上は、たとえ如何なる病気であっても延命につながる治療は、医療保険の対象外となるかもしれない。そのときは、非人道的ではあるが貧富の差が生死の分かれ目となるかもしれない。
医学の極度な発達がもたらすことは、言い換えると、科学の極度な発達がもたらすものは、『人間の生命』 とそれを支える 『人間の社会』 との均衡を如何にすべきか?という課題の発見であろう。それは、理性的人間が人間らしく生きるということの難しさでもある。
by 大藪光政