2000年以降、日本人のノーベル賞を受賞した人は10人にもなりました。2000年以前とは違って人数が増えたせいかあまり驚かなくなりましたね。
受賞の多くは化学部門のようです。物理学は、湯川英樹以来、ポツポツといった具合です。新聞やテレビの紹介でその経緯を知るのは興味津々ですが、やはり、本人の努力と運がなければ難しいようです。
今度の受賞者、鈴木 章氏の発言を聞いていると多くの受賞資格者がいて、順番待ちといった感じで語られていました。つまり、ちょっとした差でもって受賞できるか否か?があるほど運も必要ですし、業績のアピールも大切なようです。
それだけ多くの受賞資格者がおれば、当然、審査は厳しくなる。今世紀最大の発見でもなければ、単なる発見だけでは認められない。ただ社会に対する貢献度が大であれば
別でしょう。
しかし、貢献度があるかどうかは、しばらく、そうした発明や発見が実用化されるまで不明です。そうなると、必然的に、受賞の機会は遠くなる。それまで本人が生きているかが問題だ。(笑)
恐らく、受賞できる対象者で物故となった人が多くおられることでしょう。受賞できなかったことを口惜しく思ってこの世を去った方が多くいるでしょう。
でも、中にはさらりと受け流された方もおられるはずです。確かに受賞するのとそうでないとでは、人生の喜びは違うでしょう。
しかし、ノーベル賞を受賞出来る、出来ないは、あくまで、人による審査ですから、色々な駆け引きもあり、常にフェアとは言い切れませんから世界の絶対的な正当な評価とはいえません。
それに、ノーベル賞にない部門もあります。特に、工学部門です。基礎科学とは違って応用部門です。たとえば、機械工学とか、制御工学、コンピュータ工学など沢山あります。
私の愚息は、制御工学を専攻していますが、いつも、こうしたノーベル賞が発表される度に、「制御工学は、ノーベル賞なんて関係ないから・・・」と、不満そうに言います。もちろん、仮にあっても本人とは無縁ですが、どうも、すっきりしないようです。
制御工学は、ある意味で縁の下の力持ちみたいなところの存在でしょう。ロケット、原子力発電、身近なものでは、自動車やテレビ、エアコンと至る所でその技術が必要とされ科学の進歩に大きく貢献しています。加速器など制御システムなくして動くはずがありません。
このブログでも取り上げた、イトカワに行って帰って来た「はやぶさ」は、まさに世界誇る日本の制御技術のお手本みたいなものです。これこそ、ノーベル制御工学賞があればもらえた内容ですね。
つまり、目の見えないところでこの制御工学が多くの人々の生活に貢献しているのです。これがなければ、いくら新しい新薬の発明や発見をしても、それを量産することはできないのです。
だから、ノーベル賞は科学分野においては、ごくごく一部の表彰対象事業であるということを再確認しておくべきでしょう。
地道なところでコツコツと仕事をしている人は、自分のやっていることに誇りをもって自身で己の仕事に納得することが一番幸せというものでしょう。
そして、そうしたノーベル受賞者が発表されたときは、自分のことのように喜ぶのが一番でしょう。でも、同じ分野で競った人にとっては、辛いものがあるかもしれません。
by 大藪光政
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