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科学の気持ち

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科学は哲学だといえば、池田晶子さんはひっくりかえるだろうな。では、発見といったものは科学にはもちろんありますが、哲学には?もちろんありますね。かの有名な「吾思う、ゆえに吾あり!」とはデカルトが発見したことですよね。他にもたくさんの哲学上の発見があります。

では、発明は?それはもうたくさんあります。現に多くの哲学用語がそれです。そして論理の発明もあるでしょう。ここでこの大きな二つが大変似ていることがわかりますね。

ところが反論として科学は物質を対象としているが、それに比べて哲学は非物質すなわち精神とか、存在とは何かとか、目に見えないものを対象としている。と言いたいでしょう。しかし、科学は目に見えないものも、対象にしていますよ。それは重力であったり、引力、磁力などであったりして目に見えないものもちゃんと対象にしていますよ。

しかし、哲学する人にとってはそんなこと・・・物質があっての『力』の存在でしょう?と言われるでしょう。でも精神も『存在』についての議論も、それは脳という物質があっての存在でしょうと反論できます。

でも、哲学するひとは、「科学は結局 『物質』 というものが何で出来ているのか?そして、宇宙とその果てについても何も究明出来ていないではないか!科学には限界がある。科学では理解できないものもある。」と言うでしょう。それって、哲学でもそうではありませんか?自分が誰かも?いつまで経っても解明できない哲学。

池田晶子さんは、『口伝西洋哲学史』の著書で「知性による否定とは真実への信仰、すなわち哲学とは宗教に他ならないのではないか。」と書いていますが、これは、『宗教』という意味を一般的に捉えますとおかしなものになりますね。つまり、一般的宗教は患者ではなかった『信者』もいますし、親分じゃなかった『神』もいるし、その他大勢の団体組織の役員さんもいますよね。

でも、哲学には、確かに何々派はいるかもしれませんが、宗教とは比べ物ならないくらいもっと純粋なものです。ですから『純粋宗教』と呼べるものでしたら、それは近似的にそうかもしれません。そうしますと、科学もどちらかといえば、確かに事実に基づいてこつこつとグループとしてもやっていますが、やはり純粋なものです。

科学は、物から出発して究極の物質を追及していて、哲学は心から出発して精神の謎を手繰っています。でも、ひょっとすると、行き着く先は同じかもしれませんね。哲学は『絶対精神』と言い、科学は最近科学者が『グレートサムシング』と言っています。もちろん宗教は最初から『神』といっていますけど。

科学も、宗教も、哲学もいずれもすべて人に直接的に何らかの影響を与えるということでは、同じ力を持っているとは思いませんか?さて、一番直接的に楽しませてくれるのはいずれでしょうか?

by  大藪光政


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大藪光政
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性別:
男性
誕生日:
3500/01/01
職業:
コンサルティング/システムエンジニア
趣味:
大樹木の鑑賞
自己紹介:
科学は少年の頃からのあこがれの対象でした。今日の科学の発展は、そうなるであろうと想像して来たものばかりです。そしてこれからの進歩の中にも興味深いテーマが数多く存在しています。そうしたものを時々イメージしながら楽しむことが唯一の自己発見なのかも知れません。
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